Bärí A. Williams著「Seen Yet Unseen: A Black Woman Crashes the Tech Fraternity」
フェイスブックで企業内弁護士として勤務した経験もある黒人女性が、テクノロジー業界から黒人女性たちが排除されその内部で働く数少ない黒人女性たちも不可視化されると同時に、そうした現状に抗おうとした途端に「うるさい黒人女性」として望ましくない注目を浴びてしまう「可視性」のディレンマについて書いた本。
目の前にいるのにいないかのように扱われる、弁護士なのに秘書か事務員だと決めつけられる、いきなり勝手に髪の毛を触られる、アファーマティヴ・アクションのおかげで進学したのかとか大学時代にどのスポーツの特待生だったのかと聞かれる、意見を言っても無視されるのにのちに白人男性が同じことを言ったらその意見が通る、自分の功績が他人のものにされる、など著者が実際に経験したさまざまなミソジノワールやマイクロアグレッションは、テクノロジー業界に限った話ではなくプロフェッショナルとして働く黒人女性の多くに共通している経験。
テクノロジー業界に特有なのは、そこが極端な白人(とインド人や中国人)男性に占められた業界であり、またかれらがなんの躊躇いもなく実力主義・メリトクラシーを信じ切っていること。マーク・ザッカーバーグやイーロン・マスクら若くして成功した白人男性たちが自分の力だけで成功したかのように祭り上げられ、「ニューロダイバージェント」であることを自認する白人男性ナードたちが「自分のような認知の違いがある人がいるのだから職場は多様な人たちが集まっている」と主張する。
ダイバーシティの数字を満たすことだけを期待され、意見を強く主張したり差別的な扱いを指摘したりすると途端に「目に見えない存在」から「職場の和を乱す危険分子」に。空気が凍りつき気まずくなるだけでなく、協調性がない、これだからアファーマティヴ・アクションの連中は、と言われる。そうして黒人女性の存在と意見を消去していった結果起きたのが、フェイスブックなどプラットフォーム企業における差別的な陰謀論やフェイクニュースの拡散と、2021年の連邦議事堂占拠事件を含む白人至上主義暴力だった。黒人女性の声を聞き届けることは、個々の黒人女性の利益になるだけでなく、企業や社会にとっても必要なことだと著者は訴える。