Antonia Hylton著「Madness: Race and Insanity in a Jim Crow Asylum」

Madness

Antonia Hylton著「Madness: Race and Insanity in a Jim Crow Asylum

人種隔離政策が続いていた1911年にメリーランド州で黒人専用の施設として設立され、抗精神病薬の登場、社会における脱施設化の風潮、隔離政策撤廃などの変化を経て2004年に閉鎖されたクラウンズビル病院の歴史を、患者だった人たちや働いていた人たちの証言から明らかにするとともに、そこに黒人女性ジャーナリストである著者自身の家族や大切な人たちが経験した精神疾患とそれに対する社会の反応や支援の欠如などを接続して語る本。

クラウンズビル病院の起源を語るには、アメリカにおける精神病院の成り立ちと、黒人に対する歴史的な扱いの両方を辿らなければいけない。精神病院はもともと、新移民ら貧しい人たちを収容して仕事をさせることで適切な勤労倫理を身に着けさせる目的で設立された救貧院から派生した。当時の(今でもだけど)価値観では貧困や失業は本人の勤労意欲の欠如が原因だとされ、それを持たない人たちは未熟な子どもか、あるいは危険な犯罪者かのどちらかだと考えられた。かれらを収容し矯正する施設が生まれたのは当然だった。また奴隷とされていた黒人は人種全体が未熟もしくは危険な存在として扱われ、かれらに正しい生き方をさせるためには奴隷制を通して白人が管理・指導しなければいけない、と考えられていた。成熟した白人によって管理されてこそ黒人は健全に生きることができるのであり、それも分からずに白人に抵抗したり逃亡を試みるのは黒人に特有の精神疾患だとして、鞭で打つなどの治療行為が推奨された。書いてるだけで胸糞悪いけど事実。

南北戦争の終結により黒人たちは奴隷の立場から解放されたが、南部の白人たちにとってそれは管理されなければまともに生きることもできない大勢の未熟で危険な存在が野放しにされたということだった。黒人の権利を守ろうとした連邦政府の介入が弱まると、南部では次々に人種差別的な法律が制定され、黒人を犯罪者や貧窮者として施設に収容したうえで労働力としてかつて奴隷労働を使用していたプランテーションに貸し出したり、公共事業に強制的に従事させたりした。クラウンズビル病院自体、患者とされた黒人たち自身に建物を建築させて完成したものだし、患者として収容されている黒人女性が病院で働く白人スタッフの自宅の専属家政婦として働かされたりするなど、病院としての側面とは別に奴隷制から続く人間性否定と労働搾取の現場としての側面が強かった。また当初は人数分のベッドどころか椅子すらなく一日中床で寝転んでいる人がいたり、衛生面が劣悪で感染症が蔓延するなどの事例もあった。

著者はこのような病院に収容されていた患者たちの経験を知りたいと、さまざまなハードルを超えて残された資料の閲覧に漕ぎ着けるも、人種隔離時代の患者のファイルは破棄されていて管理者側の資料しか残されていなかった。しかしそうした資料からでも、奴隷制から脈々と続く黒人の尊厳破壊と労働搾取の様子は見て取れる。またそれよりあとの時代の元患者たちやその家族、またある時期から採用されるようになった、医者や看護師として資格を持ちながら資格のない白人スタッフより下に見られていた黒人医療従事者たち、そしてアーミッシュなど宗教的な理由で徴兵を拒否した代わりにこの病院での勤務を義務付けられた人たちや、ナチスを逃れてヨーロッパから移住してきたユダヤ人の医療従事者らやその家族らからも証言を得て、非人道的な現場を変えようと声を挙げた人たち、お互いを支え合おうとした黒人たちの物語が紹介される。

著者の家族もその一人だが、精神疾患、とくに統合失調症になったと診断された黒人たちの中には、「白人による迫害を受けている」という思いが強まり妄想のレベルに至ってしまった人たちが少なくない。白人は自分や家族を迫害している、という話を聞いていると、そのうち白人至上主義者が自分を狙っている、いまにも家に殴り込んでくるとか、常に監視されていると言い出して、被害妄想だと判断されてしまう。そうした人たちは、たしかに精神的な安定を崩してしまっているのだけれど、現実に白人至上主義者や警察によって黒人たちが不当な取り調べを受けたり殺されたりしているなか、すべてが妄想だとも言い切れない。それは、どうせ捕まってひどい目に合わされる結果になるのに逃亡を試みる奴隷に精神疾患のレッテルを貼るようなことではないか? メンタルヘルスの問題は現実の深刻な問題で、著者自身も精神疾患に悩まされている家族や大切な人たちを助けてくれる施設やプロフェッショナルを望んでいるけれど、現実には精神疾患のある黒人はほかの人たちに比べて圧倒的にその場に居合わせた警察によって射殺されたり暴力を振るわれる比率が高く、そのことが身内が必要としている助けを求めることを躊躇する原因になっている。

一般に、抗精神病薬の登場により精神疾患の症状を抑えることが可能になり多くの人々が精神病院から解放された、という歴史が語られがちだが、実際のところそれは病院の外に十分に自分を支えてくれる余裕を持つ家族やコミュニティがある白人中流階級の患者たちだけの話で、それ以外の人たちは路上の放り出され、ホームレスとなったり、苦しさを紛らわすために薬物を求めて依存症になったり、生活のために犯罪を犯して刑務所に収監されたりしたのは忘れてはいけない。ひどい歴史を持つ病院は閉鎖されたけれど、それで精神医学における人種差別が解決されたわけではなく、むしろそんな病院であっても閉鎖により急に追い出された人たちはダメージを受けた。あんまりひどい話が多くてうんざりするけど、著者が一貫して丁寧でリスペクトフルに患者やその他の人たちに向き合っているのでそういう意味では安心して読めた。