Anne C. Bailey著「The Weeping Time: Memory and the Largest Slave Auction in American History」
リンカーンが大統領に当選する前年の1859年に2日に渡ってジョージア州で開催された米国史上最大の奴隷オークションについての本。売りに出されたのはアメリカ独立宣言にも署名した「建国の父」ピアース・バトラーが孫に残した奴隷の約半分にあたる436人の黒人奴隷。バトラー家は所有する奴隷をジョージア州の海岸に近いいくつかの島に設置したプランテーションで綿や米を作るために使っていたけれど、孫(この人の名前もピアース・バトラー)が投資の失敗とギャンブルで重ねた借金の支払いのために大勢の奴隷を一度に放出することになった。南北戦争が近づくなか、この大規模な奴隷オークションは大々的に宣伝され、南部各地から参加者が集まるとともに、奴隷制に反対する北部のジャーナリストも買い手を装って潜入したため、多数の資料が残された。単に奴隷制やオークションがあったというだけでなく、それぞれ名前と家族の繋がりを持つ個人についての記録を読むことは、奴隷制の酷さに対する認識の更新を迫られる。
奴隷とされた人たちは過酷な労働を強いられ、些細なことで鞭打ちなどの体罰を受けたけれども、これだけ大勢の奴隷が集まっているとコミュニティが生まれるもので、大工やその他の技能を学んでさまざまな役割を果たす人たちも出てくるし、歌や踊り、料理や信仰を通して故郷の文化を守り、また家族・親族の繋がりを保ち続けた。奴隷所有者のバトラー家としても、自分たちはアフリカの未開の地に住んでいた人たちに文明やキリスト教を伝え、仕事や住処を与えて面倒をみてやっている、という自己正当化の論理を保っていた。ところがオークションにより自律的なコミュニティを築いていた黒人たちはバラバラに売られ、それと同時にバトラー家の自己欺瞞も維持できなくなる。
オークションで売られた人たちや売られずにバトラー家のプランテーションに残された人たちは家族・親族の繋がりを奪われたが、南北戦争がはじまるとプランテーションから逃亡したり自分の自由を報奨とした義勇軍の一員として北軍に参加するなどした。そして奴隷制が廃止されたあと、一部の元奴隷の人たちは家族や親族を探して各地の黒人教会を訪ねたり黒人新聞に広告を出したりしたほか、オークションによって引き離された人たちと再会するためにバトラー家のプランテーションに戻る人もいた。その後、「1877年の妥協」により北軍が南部から撤退すると、北軍が黒人たちに約束した自由や補償は反故にされ、黒人たちの権利はふたたび厳しく制限されるようになる。
それでも黒人たちが自分のルーツを求める気持ちは消え失せたわけではなく、20世紀中盤以降ふたたび黒人たちが自由を得ると、自分の祖先を探そうとする人が多くあらわれた。その鍵となるのは奴隷解放後に解放奴隷たちが名乗ることが許されるようになった家名であり、代々伝えられている親族の名前と出身地の記憶だった。バトラー家によって1859年にオークションにかけられた人たちの子孫たちも、そのなかで自分たちの祖先がかつて「建国の父」の1人であるピアース・バトラーの一家に所有されていて、米国市場最大のオークションで売られたことを知ることとなる。
1859年の大規模オークションは当時の新聞に大きく取り上げられたけれど、南北戦争やリコンストラクションの失敗を経てその記憶は南部の歴史からかき消されてきた。その記憶を抹消から救ったのは、奴隷制の歴史をきちんと保存しようとした黒人やその他の歴史家たちであるとともに、不完全ながら自分たちの家族や親族の歴史を伝えてきた多くの一般の黒人家庭だった。黒人家庭といえば貧困や婚外子率の問題など負の側面ばかりが強調されがちだが、実際には大西洋を渡る奴隷貿易からはじまり奴隷制や制度的な差別や現在も続く大量収監など、家族や親族の繋がりを断ち切ろうとする大きな流れに抗い続けた黒人家庭の強さを感じた。