Alex von Tunzelmann著「Fallen Idols: Twelve Statues That Made History」

Fallen Idols

Alex von Tunzelmann著「Fallen Idols: Twelve Statues That Made History

近年アメリカで奴隷制や南軍に関連した像の公の場からの撤去が議論され、2020年のブラック・ライブズ・マター運動の盛り上がりのなかさまざまな像が市民によって引き倒されたが、この本は世界各地で同じように撤去あるいは破壊された12の像を取り上げ、それらが設置され、そして撤去された歴史的背景を解説することで、現在起きている議論に一石を投じようとする。取り上げられたのはアメリカがイギリスからの独立を宣言した際に引きずり落とされたイギリス王ジョージ3世の像からはじまり、スターリン、レオポルド2世、レーニン、セシル・ローズ、サダム・フセイン、ロバート・リー、そして最初に取り上げられたアメリカ独立戦争を指揮したジョージ・ワシントンなど、5つの大陸の過去350年に及ぶ事例。この本はそれぞれの像について、それがどのような政治的意図のもとに作られ、維持され、そしてそれらが倒されたのか、その歴史を人々がどのように記憶するのか、丁寧に紹介している。

これらの像のなかには、ドミニカ共和国の独裁者ラファエル・トルヒーヨの像や、ハンガリーの首都ブダペストに設置された巨大なスターリン像のように、支配者からの解放をうたう民衆によって引き倒された像もあれば、同じように独裁者であったけれども民衆によってというよりは占領軍(米軍)の宣伝のために倒されたサダム・フセイン像のような例もあるが、レオポルド2世、セシル・ローズ、ロバート・リー、そしてジョージ・ワシントンのような例では、かつて白人たちによって偉人とされていた人たちが植民地主義や奴隷制に関する意識の高まりを受けて再評価され撤去が議論されるようになった。

かつて偉人や英雄として讃えられた人たちの像を撤去しようとする動きに対して保守派は、「歴史を抹消すべきではない」「現代の価値観で過去の人物を評価すべきではない」と批判するが、そのかれら自身もかつてスターリン像やフセイン像などが倒された時にはそれを歓迎していた。つまり歴史的な像には一切手を出すべきではないという一貫した信念があるわけではなく、ある特定の歴史的人物についての当人の政治的立場を明らかにしているに過ぎない。歴史的な人物像はその存在によって社会の価値観を映すだけでなく、その撤去においても同様に社会を反映する。その総体が歴史を生きる、歴史を作るということなのだと本書は思い出させてくれる。植民地主義や奴隷制、人種差別などの歴史を抹消することを目的とした像をただ単に歴史的なものだからとそのまま保存することは、歴史の保存とは正反対だ。

本書が取り上げている像となった人物のほとんどが白人で、全員が男性であることは、歴史的に誰が「英雄」として持ち上げられた、あるいは自らを英雄として持ち上げようとしたかを示しているが、本当に問題なのは偉人や英雄として持ち上げられる人の選択が狭かったことではなく、偉大な個人が歴史的偉業を成し遂げるという歴史観そのものを疑うべきだとして、かれら「堕ちた虚像」の代わりに非白人や女性の「偉人」たちの像を建てようとする動きにも著者は疑問を投げかける。ホロコースト被害者やリンチ殺害された黒人たちに捧げられた像などの例をあげ、個人を祭り上げるのではなく民衆の犠牲や抵抗の歴史を象徴するメモリアルやアート、イベントなどによって歴史を記憶する試みを取り上げ、ほんとうに歴史を保存するとはどういうことなのか本書は問いかけている。

個人的には、ポートランドでBLMデモの参加者たちが市内のジェファーソン、ワシントン、リンカーン、テディ・ルーズヴェルトの各大統領像を倒したことが取り上げられていて少しうれしい。わたしは昔ジェファーソンの名前を冠した高校のほぼお隣に住んでいたんだけど、歴史的に黒人が多い地域で、生徒の過半数が黒人なのに、校庭を見下ろすような位置に、数百人の奴隷を所有していて14歳の奴隷をレイプして子どもを産ませたトマス・ジェファーソンが優雅に座っている像が置いてあって、ずっと批判されてたのに撤去には至らなかったのを知ってたから、BLMデモがその像を撤去したのは嬉しかった。「撤去したいなら法律に則って議論を通して実現しろ」なんて言われるけれど、生徒たちや地域の黒人住民たちがそれまでさんざん要求したのに無視されてきたし、現実にそれを可能とするような法的な仕組みがないわけで。