Tomiko Brown-Nagin著「Civil Rights Queen: Constance Baker Motley and the Struggle for Equality」

Civil Rights Queen

Tomiko Brown-Nagin著「Civil Rights Queen: Constance Baker Motley and the Struggle for Equality

1966年にジョンソン大統領によって黒人女性としては史上初の連邦地方判事に任命されたコンスタンス・ベイカー・モトリー氏の伝記。ちょうど最近バイデン大統領によってケタンジ・ブラウン・ジャクソン判事が史上初の黒人女性最高裁判事に指名されたこともありタイムリー。モトリー氏ははじめ人権派弁護士として、のちに初の黒人(男性)最高裁判事になったサーグッド・マーシャル弁護士の右腕としてBrown v. Board of Educationをはじめとした人種隔離政策に対抗する多数の裁判を手掛け、その成果を評価され請われて政界に進出、ニューヨーク州議会議員やマンハッタン区長を経て、マーシャル氏を追って連邦判事に。この伝記では、それぞれの段階で「初の女性」「初の黒人」「初の黒人女性」と呼ばれ続けたモトリー氏が、華麗に歴史を変えつつもどのように困難に向き合い彼女自身のスペースを作り上げてきたか描かれる。

彼女が最も輝かしい業績を残しているのは、弁護士資格を取ってから政治家になるまでの弁護士時代だ。モトリー氏はキング牧師やその他の不当に逮捕・拘束された公民権活動家の弁護を手掛けたり、マーシャル弁護士がリードしたBrown v. Board of Educationの(教育機関の人種隔離を違憲とした歴史的な判例が出た)裁判の最初の告訴状を書くなどこの裁判で中心的な役割を果たし、最高裁でも(Brown判決により人種隔離政策が違憲とされたあとも、南部各州では別の口実を設けたり白人暴徒によるリンチを放置したりして隔離を継続させようとしたため)10回弁論を担当し9回勝訴している。しかし女性であるためかリーダーとして発言する機会は与えられず、彼女より実績の少ない同僚に先に昇進されたりもした。

モトリー氏がニューヨーク州議会議員に選出された1964年以降は、公民権運動が一定の成果を残した結果、それまでのような明快な人種差別案件は減少し、黒人や女性の側は差別を受けたと感じるけれどそれを証明するのが難しいような案件が増えてきた。また同時に、形式的な平等では不十分だとして、黒人の自治や自衛を通した解放を訴えるブラックパワー運動が盛り上がり、モトリー氏らによる公民権運動が目指す人種融合が生ぬるい考えだと批判されるようにもなった。彼女の両親はカリブ海のネイビス島からの移民で、イギリス式中流文化の影響を受けた良家に育った彼女と、彼女が州議会で代表するハーレムの黒人たちとのあいだにはズレが生じていた。その同じ良家の一員でありながらモトリー氏の甥がブラックパンサー党に入り対立組織の銃撃によって殺された事件を受け、その亀裂はさらに深まる。

判事となったモトリー氏は、彼女が黒人女性であること、また公民権運動に参加していたことを理由に、「白人や男性に不利な判決を下すのではないか」とさんざん批判されたけれども、著者によると彼女の判決にそのような偏りはなく、ほかの判事と同様に多くの差別の訴えを認めなかった。彼女自身の発言からも、彼女がかつて闘った明快な人種差別案件と比べて、その後彼女の法廷に持ち込まれたさまざまな差別案件については「そんなことが差別なものか」と軽く見ていたことがわかる。有能な女性や黒人が性差別や人種差別を理由に機会を奪われている件については積極的に差別の存在を認定する一方、その他大勢の女性や黒人や黒人女性が日常的に経験している職場での不当な扱いについてはあまり好意的ではなかったと著者は書いている。また、のちにキンバーリ・クレンショーが「インターセクショナリティ」と名付ける、黒人差別や女性差別からは独立した「黒人女性差別」という特有の現象についてもモトリー氏は認識することができなかった。

このような記述はモトリー氏に対してとても厳しい内容になっているけれども、それは全国で唯一の黒人女性連邦判事であった彼女が当時のほかの(白人男性)判事の判例を片っ端から破棄するような暴挙をしなかった、できなかった、ということでもあり、彼女自身の汚点というよりは「史上初」という立場と先例主義に縛られた結果だといえる。オバマが大統領になったからといって過去のアメリカ大統領のあり方を根本的に変えられるわけでもない(むしろ変えようとして大惨事を起こしたのは白人男性のトランプだった)のと同じ。それを乗り越えるためには、ケタンジ・ブラウン・ジャクソン判事ほかより多くの黒人女性たちが法曹界で力を得る必要があるのだと思う。

モトリー判事による自伝も1998年に出版されている。読みたいけど電子書籍出てなさそう…