Tim Bakken著「The Plea of Innocence: Restoring Truth to the American Justice System」

The Plea of Innocence

Tim Bakken著「The Plea of Innocence: Restoring Truth to the American Justice System

アメリカの司法制度において多くの無実の人が間違った判断や非科学的な証拠により有罪とされ刑罰を受けていることは問題とされているが、本書はその原因を英米法の伝統に基づいた対抗主義(adversary system)に求め、大陸法的な糾問主義(inquisitorial system)の部分的な導入を求める。

こういう言い方をすると無茶苦茶に聞こえるのだけれど、アメリカの司法制度では無実の人が有罪判決を受けない権利は認められていない。憲法が保障するのは公正な裁判を受ける権利だ。そのなかで刑事被告人は弁護士を通して(無実なら)自分の無罪を訴え、検察は被告人が罪を犯したことを立証しようとし、最終的に陪審か裁判官がどちらが正しかったか判断を下す。両者が対抗しそれぞれの立場を訴え、それを中立の立場に立つ者が聞いて判断することで公正な判決を下すことができる、という考えがある。

しかし現実には、現在では刑事事件のほとんどは裁判ではなく検察と被告人のあいだの取り引きで決着するが、少しでもはやく釈放してもらって家庭や仕事に戻らなければいけない被告人に対して検察は決着を急ぐ理由がないし、そもそもどれだけの証拠を検察が握っているのか被告人の側は判断できず、また個人として自分に有利な証拠を集める余裕のある被告はほとんどいない。検察が被告の犯行を証明する十分な証拠を持たない場合でも、罪状を十分に軽くすれば裁判を長引かせるコストとより重い罪に問われる危険を意識する被告人は有罪に同意してしまう。こうした構図は実際に犯罪を犯した人だけではなく無実の人にも共通で、というよりむしろ無実の人こそ、無実の罪で逮捕された時点で既に制度に裏切られたという気持ちを抱いているので、公正な裁判によって無罪評決が受けられることを信頼できなくなってしまう。

Daniel S. Medwed著「Barred: Why the Innocent Can’t Get Out of Prison」にも書かれているように、いったん有罪の判決を受けたら、のちに新たな証拠が見つかっても再審を受けることは難しい。1990年代に設立されたイノセンス・プロジェクトは多数の受刑者たちの無実を証明し釈放させることに成功したが、その恩恵を受けられた人の大多数は犯行現場にDNAを抽出できる証拠が残されていたが当時DNA検査がまだ存在しなかったか採用されていなかったケースで間違って有罪となった人たち。そうしたケースではDNAを再検査することによって無実を証明できるが、そうした手段により無実を証明できるのは無実を訴える受刑者のうちごく一部でしかないし、現代ではDNAを抽出できる証拠が検査されずに残されることは減っている。

犯罪を犯した人たちへの追求を諦めることなく無実の罪で有罪になる人を減らすためには、アメリカの司法制度は被告側の弁護士と検察官が自陣営の勝利を追求する現行の制度から、真実を明らかにすることを目的とした制度に移行すべきだ、と著者は主張する。そのためには、警察や検察は逮捕や有罪判決ではなく真実の究明を目的とするよう組織の価値観を変える必要があるし、また弁護士が自分が認識している事実を捻じ曲げるような主張を法廷で繰り広げること(たとえば被告が犯罪を犯したことを知っているのに、第三者が犯人であったかのような主張をすること)を禁止すべきだ、と。そのうえで、被告には有罪・無罪の答弁だけでなく「無実」を訴えることを認め、無実答弁をした者は黙秘権など一部の権利を放棄する代わりに、政府が被告に有利な証拠を積極的に探すよう義務付ける。現状では無実の罪で捕まった人が無実を証明しようと熱弁したせいで記憶違いなどから矛盾を指摘されたり、私生活を知られたりして陪審に悪印象を与える危険のほうが大きいが、政府が被告を攻撃するためではなく真実を明らかにするために捜査するのであれば無実の人は協力したほうが有利になる。

提言はおもしろいのだけれど、まあ政府が真実を究明するなんて信用できねーし、そもそも実現しないよなあと。著者は提言の最低条件として「実際に犯罪を犯した人がいまより有利にならないようにしつつ、しかし無実の罪に問われた人に有利にする」ことを挙げていて、そんな都合のいい話あるわけないというか、まあ細部ではあるかもだけどアメリカの刑事司法制度の根本的な不公平さは変わらないよなあと。あと著者はハーヴェイ・ワインスタインとビル・コスビーの性暴力事件について触れて、かれらの裁判で実際に刑事責任に問われたケースの被害者だけでなくその他大勢の被害者のうちの何人かが証言を認められたことが裁判の公正さを損なったみたいな話をしてるんだけど、そこだけほかとどう繋がるのか分かりにくくて、ワインスタインとコスビーを魔女狩り裁判の被害者的に扱いたいだけなんじゃねーのって感じた。