Sasha Constanza-Chock著「Design Justice: Community-Led Practices to Build the Worlds We Need」
デザインを特定の職についている専門家だけが行う行為ではなく全ての人が日常的に自分の置かれた環境に何らかの目的を持って意味づけする行為だと位置づけ、デザインと社会的公正の関係、社会的公正に寄与するデザインのあり方を模索する本。著者はMITで公共メディア教えているフェム寄りノンバイナリー自認の人で、知らずにこの本に出会ったけど実は意外とわたしの知り合いの周辺にいる人だった。デザインが価値的にも政治的にも中立ではないからこそ、その政治性を意識してより公正で多くの人たちに開かれたデザインを追求している多数の人たちの試みについて教えてくれる。
本のなかでは、たとえばゲイツ財団が多額の賞金を出して各国の研究者や開発者を巻き込んだ「トイレの再発明」プロジェクトが批判されている。途上国の上下水道のないところでも使えて安全で清潔なトイレを開発しよう、という試みだけれど、最新技術を投入して完成した「新しい」トイレはコンセプトとしては良くても、実際に途上国に普及させるのは困難で、仮に設置したとしても最新技術が盛り込まれているだけにメインテナンスするのは不可能に近い。それらの開発には実際にトイレで困っている途上国の人たちは参加できず、かれらが現在どのようなトイレを使っていて、どのような改善であれば現地で入手できる材料と技術で設置・メンテナンスできるのか、という視点が欠けていた。
先進国でも政府とテクノロジー企業が協力して最新技術を使った「電子行政」の導入が進んでいるけれど、それらが人々を民主主義を支える市民としてではなく行政サービスの消費者のみとして規定し、マジョリティにとっての利便性が向上すると同時にマイノリティの人たちがさらに疎外される例も。社会問題の解決を目指した学生や研究者たちがそれぞれの問題に直面している当事者たちの意見を聞かないままテクノロジーを押し付けられる、という話を読んで、そういう例って実際あるよなあといくつか直接見聞きした例を思い出した。
序盤で著者自身が断っているけれど、実際のところこの本ではテクノロジーが中心に扱われていて、「デザイン」という言葉で思い浮かべる工学デザインや建築、ファッション、その他「デザイン」という広い分野に含まれるさまざまなものについてはほとんど触れられていいない。著者本人がテクノロジー畑の人なので扱う分野が狭いのは仕方がないのだけれど、それでも紹介されている例がやたらと豊富で、たくさん新しい知識を得た。