Sarah DiGregorio著「Taking Care: The Story of Nursing and Its Power to Change Our World」

Taking Care

Sarah DiGregorio著「Taking Care: The Story of Nursing and Its Power to Change Our World

コロナウイルス・パンデミックをきっかけにケアの大切さとその欠如が意識されるなか、古くからケアを専門の仕事としてきた看護師という職の歴史とその現代的な広がりを伝える本。

本書は看護師を学位や免許を得たプロフェッショナルとしてのみ扱うのではなく、そうした制度が生まれるまえから多くの(主に)女性たちが古来から行ってきた病人へのケアや、フローレンス・ナイチンゲール以来の近代看護師制度によって排除されてきた非白人や先住民らのケアの伝統に注目することで、看護師の果たしてきた役割とその可能性を探る。現代では看護師は医者の補佐役として考えられがちだが、その歴史は医者より古く、医学が迷信や呪いと区別されなかった時代においても看護師は、人間的な触れ合いを通して患者と向き合いケアを提供してきた。

近代化により看護師は医者の下に位置づけられ、ナイチンゲールの功績などにより欧米では看護師が白人の上流階級の女性が就く立派な仕事となるとともに、非白人らがそこから排除された。現代ではもちろん人種による区分は廃止されているが、いまでも看護の仕事をする職種は教育や免許によって細分化されており、権限や給料の点で上に上がるほど白人が多く、低いほど黒人など非白人が多い。アメリカで看護師の資格が黒人女性にも解放されたのは二度の世界大戦で米軍が深刻な看護師不足に陥ったのが原因。当時の白人女性看護師たちは、自分たちを対象とした強制動員が行われる可能性が高まってはじめて黒人が看護師になることを認めた。ところがせっかく黒人の看護師が誕生しても軍内の人種隔離を維持するために軍では彼女たちの運用に困り、敵の捕虜の世話をさせる係にしたために、自国の兵士より敵の捕虜のほうに人数あたりで多くの看護師が配置されたほど。米軍アホか。ちなみに米軍が男性看護師を採用するようになったのもヴェトナム戦争で看護師不足になったから。

本書は看護師の歴史やその労働環境、看護師たちが経験するモラル・インジュリーなどについて論じるとともに、看護師たちがホスピスケアやリプロダクティヴ・ケア、公衆衛生における役割、ハームリダクションなどさまざまな分野で医者とは異なる独自のかたちで人々の生活を支えていることを紹介する。最終章ではコリ・ブッシュ下院議員はじめ看護職から政治に進出した人たちに注目し、看護職の経験がかれらの政策にどのように影響しているか紹介する。いやいやコリ・ブッシュが看護師の代表ってそりゃずるいでしょって思うけど。

コロナパンデミックの序盤に「医療従事者に感謝」とさまざまなパフォーマンスが行われた一方、マスクやPPEちゃんと配備しろ、給料上げろ、休みとらせろ、という本人たちの要望がなかなか実現されなかったように、看護師という女性化された職種の理想化は必ずしもかれらの地位向上をもたらさない。看護師不足が叫ばれるが、実際には看護師資格を持つ労働者の数は不足しておらず、問題は看護師やその他の看護職の人たちがその重要な役割に見合った給料や権限を与えられず、特にパンデミックが広がったなか使命感を利用されて使い潰されたことだと著者は指摘する。