Olúfẹ́mi O. Táíwò著「Reconsidering Reparations」
過去の植民地主義や黒人奴隷制に対する賠償について考察する本。アイデンティティ政治について論じた同じ著者の「Elite Capture: How the Powerful Took Over Identity Politics」よりは数ヶ月先に出ていたけれど最近図書館に入ったので読んだ。
最初の2章を通して奴隷制や植民地主義、人種差別が時代を超えていまの世代の黒人たちにも大きな負担を与え続けていることを示したあと、奴隷制への賠償が必要だとする立場からのこれまでの主張を、著者は「被害の回復」と「関係性の回復」という二つの類型に分類する。前者は奴隷制や人種差別によって生まれた人種間の経済的・社会的その他の格差を賠償を通して是正すべきだという考えであり、後者は結果的に生まれた格差ではなく奴隷制や人種差別の悪そのものについて賠償する責任があり、その責任を果たすことによって奴隷制や人種差別によって歪められた人種間の関係が修復されるという考えだ。
著者はそれらの主張それぞれの妥当な点を認めつつ、生きやすさ、有利さと不利さ、機会、安全、健康などケイパビリティの保証に必要な資源が不均衡に分配されているだけでなく、加速的に不均衡な流通を拡大するシステムが定着した現状において不十分だと指摘、建設的賠償論と著者が呼ぶ考えを提唱する。過去の悪についての責任を問うのも現在の格差を是正するのも必要だが、本当に重要なのはより公正な未来を作り出すことだ。それは経済的・政治的な改革はもちろん、奴隷制と直接関係ないように見える気候変動の問題を含め、奴隷制や植民地主義によって生み出された格差によって被害にあいやすさや対応する余裕が左右されるような新しい問題についても、過去の悪によって生み出された富や権力を持つ側がより多くコストを負担することで対応すべきだ(ちなみに実際のところ、気候変動の大元の原因である産業革命と、奴隷制による資本蓄積や綿などの生産力増加とは無関係ではない)。
奴隷制への賠償を未来への取り組みとして論じる主張は著者のオリジナルだけれど、より良い未来への取り組みをあらゆる世代の責任とする考え方は、著者自身が多数の黒人知識人らの発言から引用するように普遍的なものだ。奴隷制への賠償とは一度なんらかの支払いやプログラムの実施をすれば終わるものではないし、ひとつの世代で成し遂げることができるものでもない。著者はナイジェリアのヨルバ人としてヨルバ社会におけるかつての奴隷制の存在や、ヨルバ人の一部がほかの部族のヨルバ人を白人に奴隷として売り渡した歴史にも触れ、次の「Elite Capture」で膨らませているアイデンティティ集団の倫理的地位の不確かさについても論じたうえで、自由と平等のために戦った同胞たちを祖先として受け入れ、人種差別にしろ気候変動にしろわたしたちの世代で解決することはできないだろうけれど、自分たちも将来の世代のためにそういう祖先になろうと呼びかける。