Olúfẹ́mi O. Táíwò著「Elite Capture: How the Powerful Took Over Identity Politics」

Elite Capture

Olúfẹ́mi O. Táíwò著「Elite Capture: How the Powerful Took Over Identity Politics

ジョージタウン大学の哲学者である著者によるアイデンティティ政治についての本。2020年にボストンレビュー誌に掲載されて反響を呼んだ論文が元となった短い本だけれど内容はガチガチに詰まっていて濃い。

タイトルの「エリート・キャプチャー」というのは国際開発の分野でよく使われる言葉で、先進国からの国際援助が途上国に送られる際、現地のエリートたちに私物化され実際に援助を必要とされる人たちには届かない問題を指す言葉。もちろん援助を私物化しているのは途上国のエリートだけでなく、援助を送る側のエリートたちもそれを利権として利益を得ているのだけれど、著者はその構図をアイデンティティ政治をめぐる多数派社会とマイノリティ勢力の関係にも見出す。すなわち多数派社会はマイノリティのアイデンティティ集団の要求を受けマイノリティの声に耳を傾けたり、マイノリティを支援する姿勢を見せるのだけれど、実際には多数派社会にとって都合のいいマイノリティ内のエリートに利権を分配するだけだし、マイノリティ内のエリートはその状況に満足してより多くの人たちの利益につながる社会的変革を遠ざけ、自分たち以外のマイノリティに対してさらなる自助努力を求めるようになってしまっている。

アイデンティティ政治という言葉を生み出したのは黒人フェミニストたちの集団・コンバヒー・リバー・コレクティヴだが、彼女たちはそれを黒人女性としての自分たちの経験に根付いた政治的立場という意味で使っており、黒人女性だけでなくすべての人の解放を実現するために黒人女性が経験している人種差別と性差別への抵抗を訴えていた。しかし現代のアイデンティティ政治においては、たとえばフェミニズムにおける妊娠中絶の権利やゲイ&レズビアン運動における同性婚合法化のように、それぞれの集団のなかのエリートが要求する権利の実現に運動が集約されてしまっている。

たとえば女性というアイデンティティ集団のなかで、そのアイデンティティを通した共通性(女性としての共通の経験)から政治的アジェンダを紡ぎ出すことは、すなわち女性という要素でしか差別や困難を経験していない人たちの利害を中心化することになってしまう。コンバヒー・リバー・コレクティヴが目指したのはそうではなく、女性という共通性を通してさまざまな異なる経験をしている女性たちの連帯を実現したうえで、彼女たち全員が解放されるような政治だった。著者は世界各地から実例を挙げつつ、マジョリティ・マイノリティ双方のエリートによるアイデンティティ政治の私物化を批判し、より広い連帯の政治、すなわちコンバヒー・リバー・コレクティヴが指向した本来のアイデンティティ政治を呼びかける。