Macaela MacKenzie著「Money, Power, Respect: How Women in Sports Are Shaping the Future of Feminism」
女子スポーツの世界で活躍するアスリートたちがどのようにして偏見や軽視と闘い報酬・権力・リスペクトを勝ち取ってきたか、そして彼女たちの闘いがどのように他の業界で同じように男性と対等な報酬・権力・リスペクトを勝ち取るために闘ってきた女性たちから共感を呼んでいるかを通して、フェミニズムの未来を女子アスリートたちに見出す本。
女子スポーツは男子スポーツ(というか性別を指定しない「スポーツ」はデフォルトで男子スポーツのこととされている)に比べ報酬の金額からメディアでの扱い、さらには公式大会での待遇に至るまで比較にならないほど軽視されている。そしてそれらを正当化する論理は、身体的な差があるからだ、自分たちの選択の結果だ、妊娠・出産でキャリアを中断するからだ、などほかのさまざまな業種において女性の地位や賃金が安いことを正当化する論理とほぼ同じ。また女子アスリートが本人の同意を得ない場面でことさら性的に扱われることも、ほかの業種で働く女性たちが経験していることと共通している。
女子アスリートに対する差別的な扱いについて最初に議論を巻き起こしたのはテニス選手のビリー・ジーン・キングだった。女子スポーツをバカにして悔しければ自分んと試合してみろと挑発した男子元チャンピオンを3セット連取で圧倒した1973年の「男女の対決」で知られる彼女だが、それより以前の1970年、彼女はほかの8人の女子選手とともに全米テニス協会による賞金格差に抗議して同協会のトーナメントをボイコットするとともに、女子テニス協会と新たなトーナメントを設立した。歴代女子アスリートのうち獲得賞金金額トップに名を連ねるのが大坂なおみやセリーナ・ウィリアムズのようなテニス選手であるのは(全アスリート中歴代トップ100に入る女性はこの二人しかいない)、ビリー・ジーン・キングらが早い段階で女子スポーツの地位向上に取り組んできたことと無関係ではない。
いっぽう、近年女子スポーツの地位についての議論を巻き起こしているのは、メーガン・ラピノーを中心とする女子サッカー全米代表チームだ。ワールドカップで4回、オリンピックで3回の優勝を果たしていながら、そのどちらも勝ったことがない男子代表に比べて賞金も低く、遠征の飛行機はエコノミー、ホテルも男子より格下という扱いに対して問題提起を続け、全米サッカー協会を裁判に訴えるなど話題を呼んだ。またワールドカップ優勝後にトランプのいるホワイトハウスへの招待を断り、LGBTの権利やブラック・ライヴズ・マターへの支持を表明するという形で多くの女子サッカー選手たちは政治的な主張もしている。
さらに政治的にアクティヴなのは、女子バスケットボール選手たち。ラピノーの婚約者で女子バスケ界のスーパースターであるスー・バードら女子プロバスケ選手の8割は黒人で、コリン・キャパニックより先にブラック・ライヴズ・マターのメッセージを掲げてコート上で人種差別に対する抗議の声を挙げたのは彼女たちだった。キング牧師の演説から名付けられたプロバスケチームのアトランタ・ドリームのオーナーでもあるジョージア州選出のケリー・レフラー連邦上院議員(共和党)がブラック・ライヴズ・マター運動を批判し、スポーツ選手は政治に口を出さずにプレイだけしていろと発言すると、選手たちは民主党のラファエル・ウォーノック候補の選挙運動を展開、見事ウォーノックを当選させた。
女子バスケ選手といえば女子プロバスケリーグWNBAのスターでオフシーズンにロシアでプレーしていたブリトニー・グライナーが、ウクライナ侵攻によりロシアとアメリカの対立が深まった時期に現地で逮捕され、捕虜交換で解放されるまで9ヶ月に渡って拘束された事件があったけれど、そもそもアメリカでスター選手である彼女がどうしてオフシーズンに休養を取ったりトレーニングに励むのではなくロシアでプレーしていたのか。それはWMBAを運営するNBAが女子リーグに十分な投資をせず、きちんと利益をもたらしているにもかかわらず男子スター選手に比べて女子のスター選手は0.1%以下の収入しか得られていないことに原因がある。ロシアや中東ではビジネスとしてではなく地域の有力者が見栄のために大金を払って有力選手をかき集めることがあり、結果的にWNBAは選手を流出させている。
また東京オリンピックで代表チームに選出されながら参加を辞退した体操選手シモーン・バイルズやフレンチオープンを辞退した大坂なおみらは、競技に参加することより心身の健康を重視する姿勢を見せることで、差別や偏見を向けられるなか仕事や家庭に忙しく心身を削られている多くの黒人女性たちの共感を呼んだ。従来のスポーツ業界ではほかの全てを犠牲にしても競技で勝利することだけが評価の対象となり、選手が自分の健康、とくにメンタルヘルスのために休むことを良しとはしなかったけれども、彼女たちはスポーツ選手であると同時に一人の女性としてファンたちから共感されているため、出場辞退は彼女たちの人気やスポンサーにとっての価値を減らすことはなかった。またシモーン・バイルズはスポーツ界における性暴力について、大坂なおみはブラック・ライヴズ・マターについての積極的な発言でも知られており、その結果一部からは反発を浴びながらも多くのファンから共感されている。
先にも書いたとおり、女子スポーツ選手が直面する差別や偏見や不本意な性的対象化はスポーツだけでなくほかのさまざまな業種で働く女性たちが経験しているものと同じが、一般の女性たちが経験している差別や偏見は世間から隠されていることが多いので、証明するのはもちろん被害にあった本人すらそれが差別だと確信を持つのはむずかしい。それに対しスポーツ選手たちの成績や収入はデータとして公開されているので不公平な扱いが見えやすいし、彼女たちに対するメディアや社会の不当な扱いも可視化されているため、共感を呼びやすい。Nell McShane Wulfhart著「The Great Stewardess Rebellion: How Women Launched a Workplace Revolution at 30,000 Feet」では20世紀後半のアメリカでフライトアテンダントとして働く女性たちがほかの全ての女性が経験している差別や偏見を可視化させる役割を果たしていたことが指摘されていたが、女子スポーツ選手たちも現代のフェミニズムにおいて同じ役割を果たしている。クィアがタブーとされている男子スポーツと違い、ビリー・ジーン・キングやメーガン・ラピノーらクィア女性のアスリートたちが競技でもそれ以外でもリーダーシップを発揮しているのも女子スポーツの魅力。
本書では女子スポーツからのトランス女性排除の風潮にも触れ、それが生物学的事実を口実としながら実際にはそうでもないこと、女子スポーツがトランス女性に席巻されるといった事実はないこと(高校スポーツに参加しているトランス女性より、彼女たちを排除するために各州で提出された法案の方が多い)、そしてトランス女性アスリートに対して向けられる攻撃や中傷がほかの女性たちに向けられるそれと同じであることなどを指摘している。てゆーかそもそも、「トランス女性から女子スポーツを守れ」と言っている人たちが、本書で挙げられた女子アスリートたちが経験する差別や偏見の解消にどれだけ注力してきたかって考えると、むしろ「女性からスポーツを守れ」(男女のスポーツ参加機会を平等にする必要はない、報酬や待遇に違いがあるのは当然だ)と言ってきた人たちとかなり重なるわけだけど。