Kermit Roosevelt III著「The Nation That Never Was: Reconstructing America’s Story」

The Nation That Never Was

Kermit Roosevelt III著「The Nation That Never Was: Reconstructing America’s Story

多くのアメリカ人が共有している「アメリカは自由と平等を求めて独立した、奴隷制があったなど当初は完全でなかったとはいえ、歴史を経て独立宣言と憲法に描かれた理想に近づいてきた」という建国神話を事実と効用の両面から否定し、それに代わる新たな「国の物語」を提唱する本。

アメリカ独立宣言の「すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって生命・自由・および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」という言明は、黒人奴隷制や先住民に対するジェノサイドが行われているばかりか、白人女性の権利も認められていなかった当時の状況には明らかにそぐわないように見える。もし独立宣言に署名した人たちがほんとうに「すべての人間は生まれながらにして平等」だと信じていたのだとしたら、奴隷制を廃止しようとしなかったばかりか、かれらの多くが奴隷所有者だったことは現代の価値観からは理解しがたいが、これはわたしたちの独立宣言の解釈のほうが間違っている、と著者。

当たり前のことながら独立宣言は、イギリス臣民であったアメリカ入植者たちがイギリス国王に反逆し独立国家を設立することを正当化するために書かれている。そのために、宣言では国王の権限は神によって与えられたものではなく社会契約に基づくものであること、人々には社会契約によっても国家に譲り渡すことができない自然権があり、市民が合意した範囲を超えてそれを脅かす政権に対する反逆が正当化されることを主張している。この文脈において「生まれながらにして平等」というのは市民に対する国王の絶対権を認めないという意味であり、「不可侵の権利」は政府の保護によって成立する積極的権利のことではなく国家に干渉されることのない自然権を意味する。したがって当時の常識では独立宣言は奴隷制となんら矛盾することはなく、独立宣言が奴隷制廃止や人種平等の根拠となることはありえなかった。

独立戦争のあとに作られたアメリカ憲法も、奴隷制廃止や人種平等の根拠になるような文書ではなかった。憲法には奴隷制という言葉はないものの、それぞれの州の議席の数を決めるにあたって参政権のない奴隷の数の3/5を人口に加えるという条項は奴隷制が存在していた南部の政治力を恒久的に保証するというものだし、奴隷制のない州に逃亡した奴隷の引き渡しを定めた条項は州が領域内でのことを自由に決める権利を犠牲にして南部の権益を守るために作られたものだ。憲法成立直後に追加された「権利の章典」と呼ばれる最初の十条の改正は連邦政府による州や市民に対する抑圧を禁じるもので、州政府が奴隷制やその他の人権侵害を行うことは一切禁じられていない。

独立戦争や憲法成立の当時にも奴隷制度に反対する運動はあったし、奴隷による反乱や逃亡、自由な黒人による解放運動も活発に行われていたけれども、アメリカの「建国の父」たちは人種平等や奴隷とされた人たちの解放よりも国家としての(白人市民の)団結を優先した。そしてそれは、次第に北部の人口が増えるとともに奴隷制に対する反対の声が高まり、新たな州の加入により南部の奴隷州の力が弱まりはじめた19世紀中盤まで続く。

リンカーン大統領は当初奴隷制廃止を目指してはおらず、むしろ国の分裂を避けることができれば奴隷制のあるなしにはこだわらない立場だったが、かれの当選によりいよいよ奴隷制の将来が危ぶまれると判断した南部はアメリカ合衆国からの独立を宣言。かれらはアメリカ独立宣言の文言を掲げ、リンカーン政権は奴隷というかれらの資産を奪おうとすることで自然権の一部である私有財産権を侵害し、かつてのイギリス国王より酷い悪政を強いようとしている、と批判した。しかしリンカーンはかれらが独立宣言の精神に則ってアメリカ合衆国から離脱することを認めず、南北戦争が起こる。そのなかでアメリカ合衆国軍(北軍)への参加を条件に自由を与えられた黒人たちが活躍し、その結果、戦争は国の統一を維持するだけでなく、奴隷解放と黒人の市民権獲得を目指すものに変質していく。

戦後、リコンストラクションと呼ばれる短い時期に共和党が実施した政策は、独立宣言やアメリカ憲法が謳った政府のあり方とはまったく異なる性質のものだった。南部には軍が駐留して黒人の参政権を積極的に擁護するなどの改革を推し進め、奴隷制を禁じる憲法修正13条、人種に関わらずアメリカで生まれた人に平等に市民権を付与し州や連邦政府による平等な扱いを保証する修正14条、市民の参政権を州や連邦政府が保証する修正15条が成立した。これらの改革は「市民」の範囲を大幅に広げただけでなく、団結よりも公正さを優先し、南部の白人たちの「自然権」の主張を黒人を含むすべての市民の積極的権利によって上書きするなど、独立宣言と建国時のアメリカ憲法とは似ても似つかない新たな民主主義を生み出した。

もちろん、女性が市民として認められなかったなどリコンストラクションにも問題はあったし、その後1876年大統領選挙の結果をめぐる妥協によりリコンストラクションは終了し、南部で白人至上主義者が復権、憲法修正13条、14条、15条は形骸化してしまう。南北戦争を過去のこととして和解するために、アメリカは国としての団結を取り戻すかわりに黒人たちを切り捨てる決断をしたのだ。とはいえリンカーンと共和党の改革は、独立宣言と建国憲法から続いていた流れを断ち切り、新たな宣言(ゲティスバーグ演説、奴隷解放令など)とリコンストラクション憲法という新たな建国といえる成果だった。独立宣言と建国憲法を引き継いでいたのは南部の側であって、かれらは新たに建国されたアメリカ第二共和政に敗れ去ったのだ。

著者はリコンストラクションこそがわたしたちの住むアメリカの歴史の起点としてよりふさわしいと主張する。なぜならそこには、完全ではなかったし失敗したとはいえ、いまでも通用する自由と平等を求める思想が本当にあったからだ。またそれは同時に、せっかく奴隷制の廃止に成功したのに、ふたたび白人至上主義との和解や白人間の団結を優先した結果、その勝利を守り抜き発展させることに失敗したことを教訓にできるということでもある。「過去に奴隷制があったがアメリカ本来の価値観に従って廃止された」という歴史観はわたしたちにそれ以上の進歩を求めず、現状に満足する態度を促してしまうが、著者が訴える新たな「アメリカの物語」は平時においてもより公正な社会を求め、白人至上主義をはじめとする抑圧に迎合しない動機づけになりうる。

アメリカ独立宣言や建国憲法の政治思想の分析により美化された一般的なイメージを鮮やかに打ち砕くのはエキサイティングだし、リンカーンが、キング牧師が、その他のさまざまな人たちが、独立宣言の文句を利用しつつもそれに限界を見出し新たな自由と平等の思想を生み出した歴史もおもしろい。正直、これだけ長文を書いたのにちゃんと紹介できている自信がないので、読める人は読んで欲しい。