Karen Yin著「The Conscious Style Guide: A Flexible Approach to Language That Includes, Respects, and Empowers」
中国系アメリカ人でクィア女性のライター・編集者が運営している、包括的で多様な人たちを尊重する「意識的な表現」のガイドラインを提供するサイトの書籍版。人種やジェンダー、障害、その他さまざまな問題について全ての人をリスペクトした表現を紹介するだけでなく、そうした表現が常に変化し続けていることや文脈によって意味を変えることなどを指摘し、ただルールに従うのではなく常に「意識的に」考えて表現するよう呼びかける。
包括的で全ての人をリスペクトした表現を推奨している、というといわゆる「ポリティカル・コレクトネス」を連想するかもしれないが、本書が訴えているのはそれとは対局的なアプローチだ。ポリティカル・コレクトネスは「政治的に正しい」表現を一義的に決め、差別的だとみなされないためにはその表現を使え、というルールを強いるものだが、著者はそのような「正解」の存在や、論理的なルールによって表現の是非を定めたり語源まで遡って「本来の意味」から論じることを否定し、できるだけ包括的でリスペクトフルであろうとする意識的な思考を重要視する。その過程において、実際にその表現に影響される当事者がどう思っているのか、当事者のあいだでどのような議論や意見があるのか、などを学びつつ、それが変化することも受け入れ柔軟に対処することを訴える。
たとえば障害者について表現するのに、「differently abled」や「handi-capable」のような障害者当人ではなく親や支援団体などが善意から生み出したさまざまなポリコレ的な言い回しは当事者の大多数によって否定されているが、「people with disability(障害のある人)」という表現と「disabled people(障害者)」という表現のどちらが望ましいのかについては意見が割れている。前者はpeople first languageといい障害ではなくまず人として尊重してほしいという要望、後者はidentity fist languageといい障害があることが自分のアイデンティティなんだからそれを認めて欲しいという要望から生まれており、どちらが正しいということもなく、また時代によって当事者の希望も揺れ動いてきた。どちらを採用するか、あるいは両方使うか(わたしはだいたいテキトーに混ぜる派)というのは、その特定の文脈においてどちらのほうがリスペクトになるか、という意識的な判断の結果であるべきで、どちらかを正解として常にそれを使えばいいというものではない。自閉症のある人たちのあいだでも同じようにpeople with autismとautistic peopleのそれぞれに支持者がいるし、ろうの当事者たちのあいだでもインペアメントとしてのdeafとアイデンティティとしてのDeafといった使い分けが採用されている。
また包括的な表現が常に正しいというわけではない。実際には性的指向に関する話題なのに「LGBT」という言葉を使いトランスジェンダーを含めた表現にするのは実態に反するし、シアトルのフェミニストたちが女性womenのスペルをwomxnと変えることでトランス女性を含めた多様な女性を表している、と言い出した時には多くのトランス女性たちが「自分たちはwomenだ、どうしてトランス女性を含めるためにわざわざスペルを変えなければいけないのか、それはトランス女性はwomenではないと言っているようなものではないか」と反発したことも。ほかにもたくさんの実例を挙げながら、それらをただ暗記して「政治的に正しい」表現をするのではなく、当事者たちの声を聞き、文脈によって意識的に表現を考えるよう訴える本書およびサイトはとても説得力があり納得できた。楽しく読めたのはわたしが英文法オタクでスタイルガイドフェチだからというだけではないはず。サイトもとてもためになり、ニューズレターもあるので購読登録した。