Julie Newman著「Pull Don’t Push: Why STEM Messaging to Girls Isn’t Working and What to Do Instead」
伝統的に女性が少ないSTEM(科学、技術、工学、数学)分野の男女格差を是正するためにより多くの女の子たちにSTEMに興味を抱いてもらうような取り組みが、大学においてSTEMを専攻する女子学生を増やすことには成功したものの、それが目に見える形で実社会に反映されていない問題について、ボーイング、NASA、スペースXなどで働いてきたエンジニアの著者が持論を主張する本。
著者の主張は大きく2つ。まず第一に、女の子たちをSTEMに勧誘する活動は工学(エンジニアリング)を中心にすべきだということ。第二に、STEM分野で女性がどれだけ困難に直面しているかではなくエンジニアリングがいかに女の子たちの夢や希望に応える分野であるかを強調すべきであること。
エンジニアリングを中心とする大きな理由は、STEMのそれぞれの分野において卒業後にどれだけの仕事があるかだ。数学や科学を仕事としている人は技術や工学に比べるとはるかに少なく、数学や科学で仕事をするためには大学院に進んで学位を取得したうえで、大学や研究機関の下っ端からはじめ安い給料で長時間の労働にはげまなければならない。また、STEMのなかで一番労働人口が多いエンジニアリングは、同時に男女格差が最も大きい。
STEM分野を専攻する女子学生が増えたとはいえ、最も人気を集めているのは生命科学など十代の女の子たちにとって対象が想像しやすい分野だが、そうした分野にはそれほど仕事はない。それに対して技術や工学の分野では常に多くの求人があり、収入や労働条件もほかの分野より格段に良いが、STEM教育を推進するプログラムなどにおいて、こうした現実はあまり伝えられていない。たとえば宇宙に関わる仕事をしたいと思った女の子がいたとして、宇宙物理学を大学院で学んでも実際にそうした仕事に就ける人は少ないが、エンジニアリングを勉強すれば大学卒業後すぐに仕事にありつける。
さらにまずいことに、女の子にSTEM分野に興味を持ってもらうためのイベントなどでは、大学で教鞭をとる科学者やその元で研究している大学院生が登壇することが多く、パネルにエンジニアが登場することはまれ。教育関係者にとっては大学教員や大学院生はボランティアとして登壇してもらうために呼びやすいのだろうけれど、女の子たちが通う学校や受けている授業の延長線上にいる大学教員や大学院生には、実社会でエンジニアリングの仕事に携わることがどういうことなのか伝えることはできない。科学や数学は学校で授業があるし、技術はスマホやその他の電子機器に触れることを通して意識しやすくまたプログラマの人材不足に悩む業界による勧誘も盛んだが、工学がいったいどういう分野なのか一般の女の子たちには意識しにくい。
そういうイベントにおいて観念的にエンジニアリングとは「科学や数学を使っていろいろなものを作る仕事だ」と教えられるが、この説明はエンジニアリングの本質をうまく伝えていないと著者。エンジニアリングとは周囲の人たちと協力して物事を解決する方法を考える仕事であり、個人の成果が求められる他のSTEM分野と比べて女の子が得意とするコミュニケーション能力や人のためにたちたいという目的意識により合致した仕事だと彼女は主張する。さらに大学院に進まずともすぐに就職でき、ライフワークバランスに余裕のもった働き方ができるエンジニアリングは、多くの女の子たちが望むライフプランにもマッチしている。
また、STEM分野を女の子たちに紹介するパネルでは、女性が少ない業界において女性たちがどれだけ苦労してきたか、どのようにして障害を乗り越えてきたか、どうしてより多くの女性たちがそれらの分野に進出しなければいけないのか、という話をすることが多いが、先人たちの苦労話を聞いて彼女たちのたくましさにインスパイアされたとしても、多くの女の子たちは「女性の地位向上」のためにわざわざ自分がそんな業界に入って苦労したいとは思わない。エンジニアをパネルに呼ぶなら、彼女たちが男性社会の中でどれだけ苦労したかではなく、どのようなプロジェクトに参加したか、どのように問題を解決したか、ライフワークバランスがどうなっているかといった話を伝えるべき。
この本を読むとエンジニアリングはとにかくいいことずくめで、うっかりしているとわたしも今からエンジニアになりたいと思わされてしまうほどだけど(もともと都市工学には興味あるけど)、もちろん現実はそんなに簡単ではないのだろうとは思う。とはいえ科学や数学を専攻するよりはエンジニアリングを選んだほうが就職に有利で高収入を得られる機会が多いというのは事実だろうし、エンジニアリングにおける男女格差が是正されればSTEM分野全体の格差も男女の賃金格差も大きく縮まることになる。とにかく著者自身がエンジニアリングを大好きすぎて、こんなにエンジニアリングが好きなエンジニアの話を聞けば若い子たちはエンジニアリングに興味を持つだろうな、と思った。