Erik J. Larson著「The Myth of Artificial Intelligence: Why Computers Can’t Think the Way We Do」

The Myth of Artificial Intelligence

Erik J. Larson著「The Myth of Artificial Intelligence: Why Computers Can’t Think the Way We Do

コンピュータ科学者で人工知能関係の企業家による、人工知能についての誇張された展望やそれに基づいた警戒論に対する反論の本。コンピュータの高速化とコンピュータによって分析できるデータの爆発的な増加にともない、人工知能ができることは増えているけれども、それらは結局与えられたルールに従って与えられたタスク(スパムメールを判別する、チェスをプレイする、文章を翻訳する、など)を実行するだけで、その延長線上には人工知能が将来的に到達するとされる汎用的な知性はない、と著者は説明する。

たとえば、コンピュータには言葉の意味やニュアンスがわからないから機械翻訳が実用的な精度になることはないとかつて言われていたことに反して、近年実用レベルの機械翻訳の実現が近づいてきてはいるけれども、それは単に分析可能なデータの量と分析するコンピュータの速度が増えただけで(そして機械翻訳がかつてわたしたちが考えていたほど難しい問題ではなかっただけで)、言葉の意味やニュアンスを理解できるようになったわけではない。今後も機械翻訳はさらに高性能になるかもしれないけど、その先に言葉の意味を理解するコンピュータの出現はない。人工知能が自身よりさらに賢い人工知能を生み出すようになり技術的進歩が際限なく進み人類の知能を置き去りにする「シンギュラリティ」を想定する論者もいるけれど、現実問題として人工知能が自身より賢い人工知能を生み出したことはないし、人間自身だって自分より賢い人工知能は作り出せていない。著者は慎重に、なんらかの革命的な発見や発明によってコンピュータが汎用的な知性を獲得したり、シンギュラリティを起こす可能性がないとは断言しないけれども、少なくとも現状の技術の延長線上にそれらは起こりえない、と。

著者によれば、人工知能に対する過度な期待や警戒は科学的ではないし、科学のためにもならない。かつて一部の論者が「ビッグデータにより科学的仮説は必要なくなった」と言ったけれども、科学的な仮説を立てるには人間の発想が不可欠だし、ビッグデータを分析するだけではオーバーフィッティング(過剰適合)や偽陽性を量産してしまう。人工知能とそれへの過度な期待と失望の歴史をふまえつつ、人工知能に(現状だけでなく、論理的に)なにができるのか、そして人間の知能のどういう部分に人工知能が及ばないのか、よくわかる本。