Ed Burmila著「Chaotic Neutral: How the Democrats Lost Their Soul in the Center」

Chaotic Neutral

Ed Burmila著「Chaotic Neutral: How the Democrats Lost Their Soul in the Center

アメリカ民主党がどのようにして権力を握っても何もできない党になってしまったのか、20世紀後半からの歴史を振り返りつつ論じる本。

最近の民主党出身の大統領であるクリントン、オバマ、バイデンが就任したとき、いずれも上院・下院の双方で民主党が多数を占めていたのに、民主党支持層が求めていたリベラルな改革はほとんど実現できず、せいぜいもともと共和党が訴えていた政策を「よりスマートに」実現する程度の成果しか残せないまま、クリントンとオバマは最初の中間選挙で大敗して議会の多数を失った。その理由の大きなものは、いま民主党が上院で多数を占めているのに二人の民主党上院議員が共和党に加担して妨害するためなんの法律も可決できないことに明らかな党内の団結の欠如と、妥協を拒否して徹底抵抗の姿勢を崩さない共和党の抵抗、そして超党派の協調や慣例を重視して「共和党が以前のような健全野党に戻る」という非現実的な期待にしがみつく姿勢だ、と著者は指摘。

いっぽう共和党は、オバマの最高裁判事の審議を拒否してトランプに指名させる枠を維持したりして最高裁を完全に保守派で支配するなど、慣例を無視して力づくで自分たちの政策を試みている。それらは常に成功するわけではないけれど、少なくとも共和党は自分たちを当選させてくれた支持者たちの要求を実現するためにあらゆる手段を講じている。それはたとえば、民主党政権について書かれた政治ジャーナリストの本では必ず共和党との交渉や対決が描かれるのに、共和党政権に書かれた本には民主党がほとんど登場しないことに象徴的。どうして民主党は共和党のように貪欲に自分たちの、そして自分たちを支持している人たちの要求を実現しようとしないのか。

民主党の最近の歴史で重要な転換点は、1968年と1972年の大統領選挙だ。1968年の選挙ではヴェトナム戦争への反発が広がるなか現職のジョンソン大統領が再選を辞退、ケネディ元大統領の弟ロバート・ケネディが有力候補となったけれども、ほぼ党内指名を確実にしたカリフォルニア州予備選挙の勝利直後に兄や少し前に殺されたキング牧師を追うように暗殺された。当時の制度では予備選挙の結果より党内有力者の意向が優先されるようになっており、民主党は予備選挙に一度も出ていなかったハンフリー副大統領を大統領候補に指名したが同じ民主党員である人種隔離主義者のジョージ・ウォラスも出馬するなどしたため結局ニクソンに敗北。

1972年の選挙では前回党内有力者の意向により非民主的な方法で候補者を選び敗北したことの反省から党内の民主化を推進、女性や黒人などマイノリティの声がより反映される方式に改革したところ、いまでいうバーニー・サンダース的な左翼候補であるジョージ・マクガバンが大統領候補になったけれども、マイノリティに配慮しすぎだとして白人男性が多数を占める労働組合などの反発を受け、再選を目指したニクソン大統領に歴史的な大敗。マイノリティや女性と白人男性労働者の対立という図式はここから始まる。この大敗がトラウマとなり、民主党では「アイデンティティ政治」とみなされるような政策から距離を取る、「第三の道」と呼ばれる中道的なリベラル政治が主流になる。民主党がリベラルな価値を捨て「よりスマートで効率的な政治」を押し出すようになった経緯はElizabeth Popp Berman著「Thinking Like an Economist: How Efficiency Replaced Equality in U.S. Public Policy」に詳しい。

以来、民主党は自分たちの政策によって選挙に勝つのではなく、古くはウォーターゲート事件から2008年の金融危機、2020年のコロナパンデミックなど、共和党が大きなミスをしたり危機への対処を誤ったときに、それをおさえるための有能なテクノクラートとして政権を担ってきたけれども、リベラルならではの政策を全力で実現しようとはしなかった。クリントンやオバマが取り組んだ医療保険改革においてはじめからリベラルが求めるシングルペイヤー方式(いまでいうメディケア・フォー・オール)やパブリック・オプションを諦めたり、バイデン政権でも移民制度改革や参政権保護制度などはまったく実現に目処がつかず、せいぜい限られた学生ローン救済を発表した程度。

それは共和党があらゆる手段を使って妨害してくるから仕方がないのだ、というのが民主党政治家たちの言い訳だけれど著者は、50年前の大敗によりトラウマを抱えた民主党が、かつて中心的な支持層だった労働組合の弱体化とともに、「高学歴プロフェッショナル」におもねる政党に変質したことを指摘する。1990年代のクリントン政権は、女性や黒人、ゲイなどマイノリティを閣僚に指名するなどシンボリックな支持を表明すると同時に、自由貿易協定推進・福祉改革(削減)・刑事罰強化など共和党の主張を先取りし、それを実現したうえで自分の手柄とする戦略を取った。「高学歴プロフェッショナル」たちは、それらの政策を好きか嫌いかでいうと必ずしも好きではなかったものの、実際に職を失ったり福祉を減らされたり刑罰を受けたりするのは自分たちではないためにその弊害をそれほど実感しないまま、平等を謳うシンボリックなパフォーマンスに満足した。(こうした傾向はEitan Hersh著「Politics is for Power: How to Move Beyond Political Hobbyism, Take Action, and Make Real Change」では「ホビーとしての政治」として厳しく批判されている。)

1990年代以降、共和党がどんどん過激化・右傾化を続けるなか、民主党はリベラルなシンボリックなパフォーマンス取る一方で中道・協調路線を続けているけれど、片方が右傾化しているのにもう一方が中道・協調を目指しているせいでアメリカの二大政党は共和党と「よりまともな共和党(民主党)」の二つになってしまい、政治全体が右傾化している。こうしたパターンを打ち切るためにリベラルは次の選挙のことを心配するより先に、自分たちの政策を実現するためにちゃんと戦うべきだ、共和党がやっている貪欲な権力行使を道徳的に非難するのではなく同じだけ貪欲にリベラルの価値のために行動すべきだ、と著者は主張していて、まあ分かるんだけど、共和党は有権者が投票する権利を剥奪しようとしたり、選挙結果を覆すためにクーデターを起こす(あるいはそれをきちんと否定できない)ところまで行ってしまっていて、さすがにそれは真似しちゃあかんよなあと。でも「相手がルール無用でやってるのにこっちだけ遠慮してたら勝てない」と言うなら、そこまで真似するべきだと言っているのか、著者には聞いてみたい気がする。