Dianna E. Anderson著「In Transit: Being Non-Binary in a World of Dichotomies」

In Transit

Dianna E. Anderson著「In Transit: Being Non-Binary in a World of Dichotomies

宗教的に保守的な家庭で女の子として育てられ、ブッチレズビアンを経由してノンバイナリーを自認するようになった著者によるノンバイナリーの本。個人史、シス・バイナリーな読者に向けたトランスジェンダーとノンバイナリーの経験についての説明、ノンバイナリー理論の構築、アライに対する要望やアドバイス、といろいろ盛り込もうとしてるんだけど、理論化の部分はあんまりうまくいってない印象。女性学の修士号を持っているらしくそれっぽく、ヴィトゲンシュタインからフーコー、「二人のジャック」(デリダとラカン)、ジュディス・バトラー、ジャック・ハルバースタム(三人のジャックにしてやれよ!)、サンディ・ストーン、スーザン・ストライカーと引用しながらジェンダー理論を展開するんだけど、大学院生が精一杯背伸びして書いている感じがしてしまう。

本書で一番おもしろいのは、ファット・スタディーズやボディ・ポジティヴィティとの関係を論じた部分。著者自身、太っていること自体については受け入れて誇りにすら思っているのだけれど、男性と女性では太った時の脂肪の付き方が違うので、どうしてもジェンダーを見いだされてしまう。痩せているノンバイナリーの人は服装や髪型を変えるだけで男性っぽく見せたり女性っぽく見せたり、あるいはそれを混ぜたりできるのに、脂肪があるせいでどうしても一方の性別に見られてしまう、というのは確かにありそう。太っていること自体には劣等感を感じたりしないのに、太っているせいでジェンダー表現の自由度が下がっていることに不満を感じる、というのはなるほどなあと思った。そういうなかでも、はじめてバインダー(胸を潰して目立たなくする下着、日本でいうところのナベシャツ)を身につけ、着たかったシャツを着たときや、ノンバイナリーとしてカミングアウトしてはじめて「they」と呼ばれたときの喜びなどについて書かれているのも良かった。あと、生真面目すぎるインタビュアーに「(三人称代名詞で呼ぶときは)わたしのことはtheyと呼んでください」と言ったら次の質問で「How old are they?」と聞かれ、そこは二人称代名詞の「you」でいいんですけど!みたいな話は笑った。

本書の一番最初にいわゆる「用語集」が掲載されており、一般読者向けにわかりやすいよう出版社が付けさせたのかもしれないけど、中途半端でツッコミどころが多いし、インターセックスについての説明が完全に間違っている。インターセックスについてはその後も何度か言及されているけど、たとえばノンバイナリーの人たちの存在を否定する論者に対して「インターセックスについて聞いたことないの?」と言い返してたりして、インターセックスについて理解しているとは思えない。てゆーかジュディス・バトラーの文章でしかインターセックスについて触れていないんじゃないの?って思った。あとジャック・ハルバースタムについての言及で、ジャックはいま「he」と呼ばれていますがかれが女性名で発表した文章について話す部分は「she」と表記します、というのは著者自身が推奨しているAPスタイルブックの方針と違うし意味が分からない。あとdeadnameって単に「以前使っていた名前」って意味じゃないと思う(ジュディス・ハルバースタムはジャックにとって別にdeadnameではないのでは?)けど本人に確認取ってないからわからない(昔ジャックにめっちゃflirtしたけど全然相手にされなかったし慣れてそうだった)。

著者は、映画「ボーイズ・ドント・クライ」の元となったいわゆる「ブランドン・ティーナ事件」についての記述でC. Riley Snorton著「Black on Both Sides: A Racial History of Trans Identity」を引いて事件についての語られ方においてブランドンと同時に犠牲となった白人女性のリサ・ランバートと黒人男性フィリップ・ディヴァインの存在が抹消されていることに言及、反黒人主義とトランスフォビアの関連に触れるのだけれど、その点についての考察が表面的すぎて、一応Snorton読みました、くらいの印象でしかない。しかもブランドンが本名の氏と名を逆にした「ブランドン・ティーナ」を実際に名乗っていた根拠は存在しない(ブランドンとは名乗っていたが、「ブランドン・ティーナ」は事件後の創作)のにブランドン・ティーナと連発しているし、本の最後のほうに出てくる有名なキティ・ジェノヴィーズ事件についての記述では「白人女性が」「黒人男性に」殺された、必要ないのにとわざわざ人種を明記していたりと、いろいろ残念。

良い部分は良いのだけれど(自分にとってノンバイナリーとはどこかにホームがあるのではなく常に旅行中みたいなもの、という部分は正直良くわからんかったごめん)、中途半端にアカデミックなハッタリを効かせようとして逆効果になっている気がする。