Anushay Hossain著「The Pain Gap: How Sexism and Racism in Healthcare Kill Women」
タイトルの通り、医療における性差別と人種差別により女性が適切な医療を受けられずにいることについての本。医学研究や治験などが女性を排除してきたために生じた「医学的知識のギャップ」と、女性患者による痛みや苦しみの訴えが軽く扱われたり古くはヒステリー、現代では心身症として扱われるなどの「医療のギャップ」…が主題なんだけど、中盤ではコロナ禍におけるロックダウンでドメスティックバイオレンスの被害者が加害者から逃げられなくなったり、学校など公共施設が閉鎖されたことによる子どもや親世代へのケア労働の増加など女性が大きな負担を負わされている点について取り上げられていて、それはそれで十分興味深いし大事なテーマなんだけど、本の趣旨は少しぶれてしまった感じ。
著者はバングラデシュの上流階級出身で、アメリカに移住してフェミニスト団体のロビイストとして活動したりライターやコメンテータとして活動している女性。バングラデシュでの子ども時代、乳母として著者を育ててくれた女性が妊娠し、著者は彼女の子どもが生まれるのを楽しみにしていたのだけれど、出産の際彼女は亡くなってしまった。その後アメリカに渡り、出産のために入院した著者は、先進国アメリカでの出産は安全だと思いこんでいたけれど、体調不調や痛みの訴えを聞いてもらえず、あと一歩で産婦死亡の統計になってしまう状態に。それをきっかけに彼女はアメリカは先進国で最も妊産婦死亡率が高く、とくに黒人女性ら非白人の出産が先進国ではありえないほど危険であることを知る。この本はその個人的体験をもとに、多くの女性たちが経験してきた「女性患者の自分自身の身体についての意見の軽視」について深く調査している。
著者が一時働いていたフェミニスト団体というのはフェミニストマジョリティ財団という民主党主流派と強く結びついた全国団体で、2001年に当時のブッシュ政権と協力して米軍のアフガニスタン侵攻に「タリバンから女性を解放する」というお墨付きを与えたことに典型的なように、白人中流女性を代弁するいっぽう非白人女性や貧しい女性を「自分たちが救うべきかわいそうな女性たち」と扱いがちだと批判されているところ。著者は白人ではないが、バングラデシュの多数派民族であるベンガル人であり専属の乳母/家政婦がいたことからわかるように上流階級の出身であることが関係してか、フェミニストマジョリティ財団の方針や「対テロ戦争」の正当化に疑問を抱いてはいなかった様子。さらに、社会における女性蔑視の例として2018年のブレット・キャバナー判事の最高裁指名をめぐる公聴会でかれに性的暴力を受けたと主張する白人女性クリスティン・ブラジ・フォード氏の訴えが一切聞き入れられなかった話をあげているけれども、1991年に最高裁判事に指名されたクラレンス・トマス判事にセクハラを受けたと主張した黒人女性アニタ・ヒル氏の訴えを調査もせずに退けた当時のジョー・バイデン上院司法委員長の行為については一切触れていないばかりか、バイデンは政治人生を通じて女性の味方であり大統領として期待できる、とまで称賛している。
また、女性が医療において差別されている、という主張の実例では、たとえば「黒人女性であるというだけでドラッグ常用者だと決めつけられて、鎮痛剤を処方してもらえない」という問題を指摘しても、「ドラッグを常用している人だって慢性疼痛などで痛みを感じているならそれを軽減するための医療を受ける権利がある」という視点はなさそう。「こんなに社会的地位があるのに、こんなにまっとうな仕事で経済的に成功している人なのに」それでも適切な医療を受けられなかった、という例ばかりが紹介されていて、それらはもちろん酷い話なんだけど、社会的地位や経済的成功に無縁な女性のことが忘れ去られていないか心配になった。
追記:邦訳「『女の痛み』はなぜ無視されるのか」2022年10月刊