Annie Sprinkle & Beth Stephens著「Assuming the Ecosexual Position: The Earth As Lover」

Assuming the Ecosexual Position

Annie Sprinkle & Beth Stephens著「Assuming the Ecosexual Position: The Earth As Lover

元有名ポルノ女優でセクソロジストのアニー・スプリンクルと、彼女のパートナーでパフォーマンスアートの教授をしているベス・スティーヴンスが、この20年近くに渡って続けてきたエコセクシュアル・アートの活動を綴った本。わたし、何年か前に性労働者アートのイベントでアニーを見かけた時に、彼女に「これ見て!」ってエコセクシュアルのDVDを押し付けられて、そこまで興味がなかったこともあってDVDは見ないままどこかに失くしてしまったのだけれど、この本を読んでようやく「そういうことだったのか!」と分かった次第。彼女たちのアートにはわたしの知り合いも大勢参加しているし、あのときDVDを見ていればわたしもこの本に登場してたかもしれなかった。

で、エコセクシュアルってなんだよって話だけど、「母なる」という言葉で名指しされる地球や自然を「母」ではなく「恋人」に見立てて、恋愛や性愛の対象として愛し、繋がり、支え合いたい(環境破壊を止めて持続可能な関係を築きたい)と感じる性的指向であり生き方、そしてアートプロジェクト。はいそこ男子騒がないでー! DVDのパッケージを見た限り、緑の中にアニーが裸で寝そべっている写真とかばかりで、そこまで理解できなかったよ… 当然のことながら環境運動のなかでは異端も異端だし、クィアコミュニティからも「性的指向をからかうな!」みたいな反発もあるわけだけど、アート界隈ではわりとアリらしくて、たくさんのアーティストやアート団体を巻き込んで展開している様子。

著者たちは、アメリカで同性婚が合法化されるまえ、サンフランシスコで同性愛者たちを主な対象としたドメスティック・パートナー登録制度がはじまった際、最初に登録したカップルのうちの一組。当時ゲイ&レズビアンコミュニティでは同性婚合法化を目指す運動がさかんで、ドメスティック・パートナー制度はその第一歩と見做されていたけれど、著者たちは「テロとの戦争」に突入していた当時のブッシュ政権への対抗として「結婚式」という愛を象徴するモチーフを思いつく。彼女たちは2005年から7年間のプロジェクトとしてLove Art Labというタイトルで毎年異なる色とテーマを掲げて結婚式を元にしたパフォーマンスを始めるなか、4年目の「緑」の結婚式において「地球との結婚」というテーマにたどり着く。それから「青」空や海との結婚式、「紫」月との結婚式、「白」雪との結婚式、というかたちで次々に自然をテーマにするとともに、各地のアート団体に招待されて当初予定していた7色以外の結婚式も行うことになる。

パフォーマンスとしての自然との結婚式というだけならそれほど話題にもならなかっただろうけど、それを「エコセクシュアル」と名付けて自然との性的な関係を持つことがそのアートに含まれていたおかげで、保守系ラジオで叩かれたり、宗教団体や反ポルノ団体に抗議を受けたりして大きな騒ぎになることも。また環境運動のなかからは「アートと称して世界中を飛行機で飛び回り大規模なイベントを開くのは環境保護ではない」と批判されたり、地球や大地や海はアーティストたちとの性行為に同意しているのか?という、それを言っている人たちは同意を得た上で空気を吸ったり大地を歩いたりしてるのかよって感じの言いがかりみたいな批判もある(ここで著者たちは「水に声をかければ答えてくれる」とかいう方向に反論していてそれもどうかと)。

うん、発想はおもしろいよ。でもアーティスト本人ならまだしも結婚式やワークショップに参加した一般の知らない人が地球や大地とセックスしているのは正直見たくはない。ていうかまあわたしは他人がセックスしているのを見たいとは思わないので相手が地球だからとか関係ないかもしれないけど、環境問題を訴えるという点についてはあと付けっぽい気がする。地球を恋人として愛しているから傷つけたくない、癒やしたい、というロジックはわからないでもないけど、わたしは地球や自然そのものではなく環境破壊によって生活や健康や命を脅かされる人たちや動物を守りたいし、Leah Thomas著「The Intersectional Environmentalist: How to Dismantle Systems of Oppression to Protect People + Planet」で書かれていたような、人種や階級などによって特定の人たちが不均衡に脅かされる社会的不公正に立ち向かいたい。エコセクシュアル運動はアダルトな内容に見えて、実のところ小学校でよく教えられる「地球が泣いている」レベルのセンチメンタルな環境保護論以上のものにはならないような気もしている。