Shon Faye著「The Transgender Issue: An Argument for Justice」
イギリスのトランス女性ライターによる本。「トランスジェンダー問題」というつまらないタイトルに油断したけど、これまで読んできたトランスジェンダーについての本で一番おススメかも。最初に言うけど、誰かすぐに翻訳して日本語版を出してください。そのつまらないタイトルは、メディアによってトランスジェンダー当事者の実際の生活や困難を無視したうえで非当事者への脅威として議論される「トランスジェンダー問題」論争に対抗するためにあえて付けられたもの。個人の生育史やジェンダーをめぐる悩みや喜びにフォーカスしたり、反トランス論者やメディアによって規定された論点に反応するといった、トランスジェンダーについての出版物にありがちなパターンを廃して、トランスジェンダーの解放のために必要な社会的・経済的な改革を果敢に訴える。
トランスジェンダーの人たちは圧倒的に貧困に苦しんでいるのに反トランス的なメディアでは特権的なエリートだと描写されたり、性暴力やその他の暴力的犯罪の被害を受けるケースが圧倒的に多いのに性犯罪者予備軍として扱われ、子どもたちのなかで圧倒的に少数に過ぎないトランスジェンダーの子どもたちが爆発的に増殖しているとか、未成年がホルモンブロッカーなどの医療的介入を受けることは圧倒的に難しいにもかかわらず「トランスロビー」によって不要な医療が安易に押し付けられていると批判される。トランス女性をシス女性やレズビアンに対する脅威として宣伝する論理は、ほんの30年ほど前にゲイやレズビアンを排斥する人たちが採用していた論理と全く同じで、多くは同じ保守運動家や保守メディアによって使われていた。トランス医療の広がりを製薬会社や医療業界の利権であると批判し、利益目当てで多くの人たちに押し付けられた結果として医学的にトランジションしたことを後悔する人が跡を絶たない、騙される人を増やさないために法律などを通してトランス医療へのアクセスの敷居を上げるべきだ、というのは宗教右派が女性による妊娠中絶の選択を奪うために使われているレトリックそのもの。これらの事実を逐一指摘し、とくにイギリスのメディアにあふれる反トランスジェンダー的な言説が、現実の危険とまったく釣り合いの取れないモラル・パニックであることが明快に示される。
そのうえでこの本が訴えるのは、差別や貧困を原因として、移民や非白人や障害のあるトランス女性を中心に、多くのトランスジェンダー当事者たちが性労働で生き延びていることや、性暴力やドメスティックバイオレンスの被害に苦しんでいること、そして警察や民間団体がかれらを救済するどころか被害を拡大させていることなどを挙げ、トランスジェンダーの解放が移民の権利、障害者の生活の保証、人種差別や性差別との闘い、刑事司法制度の解体と結びついていると主張する。また、イギリスの主流メディアやフェミニズムが米国やアイルランドなどに比べて反トランスジェンダー的である背景に、イギリスの主流社会やフェミニズムがこれまで自国の植民地主義に向き合ってきておらず、植民地主義の被害を受けた黒人や先住民や旧植民地からの移民からの批判を受け止めてきた歴史に乏しいことがあることも厳しく指摘。
まとめると、これまでメディアで「トランスジェンダー問題」として取り扱われてきたことが、被害者ぶった多数派による議論のふりをしたモラル・パニック的な扇動であることを示すだけでなく、実際のトランスジェンダーの人たちの生活を改善するために必要なのは、「トランスジェンダー問題」に応対することではなくより広範な政治的運動であることをこの本は示している。翻訳者、いますぐ動いて。