Nicholas Mulder著「The Economic Weapon: The Rise of Sanctions as a Tool of Modern War」
武力行使の一歩手前の他国に圧力をかける手段としての「経済制裁」が第一次世界大戦から第二次世界大戦のあいだにかけてどのように登場し発展したのかという歴史を辿る本。読む前はタイトルから現代のイラクやヴェネズエラに対する経済制裁についての話かと思ったら、1920年代から1940年代に焦点を絞った本格的に歴史学の本だった。著者はコーネル大学の西洋近代史学者。
著者によると第一次世界大戦では国家総力戦のなか毒ガス、空襲、経済制裁という新たな戦術が登場したけれど、そのなかで毒ガスや空襲が兵士や市民に多大な恐怖を与えたのにくらべて、経済制裁にはそこまで恐怖のイメージがついていない。しかし実際に対象となった国では市民が経済制裁を受けている期間のあいだ困窮し苦しんだだけでなく、医療や食料供給体制の崩壊を招き、毒ガスや空襲以上に多くの人を本来より早い死に追い込むだけでなく、その後の世代に大きな身体的・精神的な影響を与えるという意味で、核兵器にも似た脅威だと著者は指摘する。タイトルにあるように経済制裁はもともと「経済兵器」と呼ばれ、敵国の政府を追い込むためにその国民たちを飢えさせる戦術だと当初から認識されていた。
第一次世界大戦が終結すると、国家総力戦における戦術であったはずの経済制裁は、平和時における侵略戦争に対する抑止力として国際連盟規約16条に明記された。実際のところ米国が参加しなかった当時の国際連盟には経済制裁を実施する能力が低く、日本が起こした満州事変などの侵略行為に対して経済制裁を課すところまでは行かなかった。この時期唯一経済制裁が発動されたのはイタリアのムッソリーニ政権がエチオピアを侵攻したときだけだけれど、それはイタリアを同時期に孤立を深めていたドイツや日本との同盟に追いやっただけだった。また日本に対して米国を中心に実施した経済封鎖も、日本国内の強硬派・主戦派を勢いづかせる結果となり、石油などの戦略物資の輸入を絶たれる不安から日本の絶望的な対米参戦に繋がった。
著者によれば、歴史的なデータを見る限り経済制裁は有効だとは言えない。経済制裁は対象国の国民を追い詰めることで、かれらが自分たちの政府に対して国際秩序を乱す行為をやめさせるよう働きかけるなり、それに従わないなら政府を打倒するよう促すことが目的とされているのだけれど、実際にはそのような結果をもたらすことはほとんどない。しかしアメリカによる経済的ヘゲモニーの確立を経て、国家総力戦の手段という本来の位置づけを離れ、ありとあらゆる理由でさまざまな国がアメリカやその同盟国による経済制裁の対象となっている。個々の状況において経済制裁が適切かどうかはここでは触れないけれども、少なくとも経済制裁が決して平和的な手段ではなく対象国の一般市民を死に追いやる「兵器」であることは常に忘れないようにしたい。