Emily Lynn Paulson著「Hey, Hun: Sales, Sisterhood, Supremacy, and the Other Lies Behind Multilevel Marketing」

Hey, Hun

Emily Lynn Paulson著「Hey, Hun: Sales, Sisterhood, Supremacy, and the Other Lies Behind Multilevel Marketing」

主婦をしていた著者が孤立感からマルチ商法にのめり込み、トップランクに登り詰めるも家族や友人を犠牲にしていることや多くの女性たちに叶わない夢を見せて勧誘し搾取していることに気づき離脱した経緯を語る本。

マルチ商法とは商品を販売する会員が新規の会員を勧誘し配下にすることで、配下の会員の売り上げやさらにその配下の売り上げなどの一部から利益を得るビジネスの仕組み。実際に商品を販売している点が違法なマルチ講・ねずみ講とは異なるとされているが、多くのマルチ商法においては大多数の人(調査にもよるけど93%とか99%といった数字が挙げられている)はお金を失い、ピラミッドの頂点にいる少数だけが利益を独占する点ではあまり違いがない。誰でも高収入を得るチャンスがある、と宣伝されることが多いが、実際には商品を売りつけたり会員に勧誘して配下に付けることができるような家族や知人・友人が大勢いる人は少なく、少なくともアメリカでは著者のように当面の生活には困っていないけれど孤独感を感じていて生きがいを求めている中流階層上位の白人の主婦が多く参加している。ていうか経済的に困窮している貧困層の人たちも勧誘されて参加するけれど、すぐに行き詰まって脱退するので結果的に深入りしにくい。

著者はフェイスブックを通して長いあいだ会っていなかったかつてのクラスメイトから連絡を受け、あるマルチ商法に勧誘される。最初は付き合いで一度だけ商品を注文しようとするけれど、会員になったほうがお得だという話を聞いて彼女の配下に。自分が使うだけ買ってもいいし売りたいだけ売ってもいい、という話だったはずが、売り上げに応じてランクが上がって表彰されたり記念品がもらえたりするゲーミフィケーション的な要素と、同じような立場にある女性たちがお互いを支え合ってみんなで成功していくというイメージによってどんどんのめり込んでいく。

もともと、家事や育児をしながら好きな時間に好きな場所で働いて収入を得られる、という要因に魅力を感じていたはずが、ソーシャルメディアを使った宣伝や勧誘やマルチ商法組織が開催するセミナー、自宅で開催させられる勧誘パーティなどのために忙しくなり、家族を放ったらかしに。多くの主婦の知り合いがいたことや、運良く地元シアトルのヘアスタイリストのボス的な人を勧誘できた(その人がヘアスタイリスト仲間をさらに多数会員として勧誘して、その全員が著者の配下に付いた)ことなどもあり夫を上回る収入を得るようになると、マルチ商法に集中するためにオーペア制度を利用して外国人のお手伝いさんに住み込みしてもらったり、ソーシャルメディア管理などを任せるためのスタッフを雇うなど、思っていたのとは違う形に。しかし彼女は組織内でどんどんランクを上昇していき、組織のセミナーでのスピーカーとして各地を飛び回るほどに。

著者はある時、ランク達成の記念として「無償の車」を入手する。この「無償の車」というのは無償と言いつつ頭金や登録費、保険料などは自己負担するかわりに、そのランクを維持している限りはカーローンを組織が払ってくれるというもので、実際には無償ではないのだけれど、無償という言葉に彼女は舞い上がる。そしてその車を手に入れた日、彼女は飲酒運転をして車を破損させるとともに逮捕されてしまう。もともとアルコールを好んでいた彼女だけれど、マルチ商法をはじめてから飲酒量が増え、セミナーが行われるホテルで泥酔して記憶を無くしたことも多数あったほど。事故と逮捕、そして離婚の危機に直面した彼女は断酒を敢行したが、こんどはそれが組織で「インスピレーション」だと褒め称えられ、数カ月後には組織の素晴らしさを示す根拠として彼女の断酒が宣伝されることに。彼女の断酒を支えた人たちからは「あなたの依存症の克服をお金儲けのネタにしようとしている人たちに利用されてはいけない」と忠告されるも、当時の彼女はそれが理解できなかった。

アルコール依存からの回復についてのソーシャルメディアインフルエンサーとしての活動もはじめた著者は、しかしアルコールを飲まなくなったことで、昔のクラスメイトやほんの少しだけ会ったことがある人たちに突然連絡して商品を売り込んだり組織に勧誘することができなくなってしまった。彼女は自分はアルコールの力を借りてそうした勧誘を行い、そして拒絶されたり縁を切られたりする経験を乗り超えてきたことに気づく。それでも既にトップランクに上り詰めた彼女は、最低限の売り上げさえあげていれば勝手に自分の配下の売り上げの取り分だけで毎月数百万円の収入が振り込まれてくる。そういうなか、2020年春にコロナウイルス・パンデミックが起きるとさまざまな陰謀論がマルチ商法の組織内で拡散され、彼女が仲間だと思っていた多くの女性たちがブラック・ライヴズ・マター運動への人種差別的な反発や中傷を公言しているのを目にする。俗に「パステルQアノン」と呼ばれる、政治的に右派だというわけではないのにQアノン陰謀論にのめり込んだ中流階層の白人女性たちは、マルチ商法の会員となった女性たちとかなりの部分共通している。

あんなにお互い支え合い、励まし合っていたはずの彼女たちが、どうして急激に変わってしまったのか?と自問する著者は、彼女たちは急に変わったのではなく、あマルチ商法の組織はもともと「正しいことをやっているからこそ世間から反発される、ネガティヴなことを言う人とは縁を切るべきだ」という形で陰謀論的なものと通じていただけでなく、「努力すれば誰でも成功できる(失敗するのは努力が足りない)」というメリトクラシー信仰や白人至上主義とも共犯関係にあったことを理解する。それまで組織に禁じられていた、マルチ商法を批判する動画やポッドキャストを聴き漁った彼女はついに、組織と決別し、彼女自身のような女性たちがマルチ商法に加入せずとも本当の意味で支え合えるような仕組みを作ろうとして、依存症からの回復を目指す女性たちのコミュニティを設立する。

わたしの周囲でもマルチ商法に関係する話は何度も見ていて、多くの女性たちがマルチ商法に惹かれるのには理由がある、彼女たちが孤独を感じず社会との繋がりを持てるような別の仕組みが必要だ、という著者の主張には納得。インフルエンサーが自分のファンを引き連れてマルチ商法に参戦していきなり高いランクに付く話や、ソーシャルメディアが(自分のところのプラットフォームにお金を落とさない)マルチ商法が目立たないようにするアルゴリズム変更したことによる影響など、マルチ業界の最近の変化の話もおもしろいし、パステルQアノンの話がこう繋がるのか、という展開もはじめは予想してなかった。ただ著者は自分の組織の会員がほぼ白人女性だけ(組織そのものの上層部や経営者は白人男性だけど)だったことからマルチ商法は白人のものだと思っているみたいだけど、黒人コミュニティにもブラックキャピタリズムを装ったマルチとかあるんだけどね。