Bénédicte Savoy著「Africa’s Struggle for Its Art: History of a Postcolonial Defeat」
1960年代にアフリカの多数の国が独立を果たしたあと、それらの新独立国が植民地時代にヨーロッパ各国によって奪われたアフリカの美術品の返還を求めるために起こした運動と、その敗北について書かれた本。著者はフランス人の歴史家でドイツの大学で美術史を教えており、原書はドイツ語で書かれている(わたしが読んだのは英訳)。植民地時代に奪われた美術品や歴史的史料、さらには盗掘された人骨や埋葬品などの返還を求める運動は現在も続いていて、つい最近日本(語)でも「遺骨問題から見る学知の植民地主義」と題して琉球や樺太アイヌによる遺骨返還請求についてのシンポジウムが開かれたけれど、この本はそうした要求がごく最近にはじまったものではなく、長らく旧宗主国によって議論そのものが隠蔽されてきたことを指摘する。
美術品返還を最初に訴えたのはナイジェリアだったとされる。ナイジェリア南部に12世紀から19世紀にわたって存在しヨーロッパと交易もしていたベニン王国は、1897年にイギリス陸軍によって占領され、王宮などから多くのブロンズ像が盗みだされ各国のコレクターや美術館に流出した。当初は1966年にナイジェリアが開催するアフリカ美術に関するフェスティバルで展示するためにベニン王国の由来のブロンズマスクなど数点を貸してほしいという要求だったのだけれど、それらを所蔵していたイギリスやドイツなどの美術館は「貸したとして返してもらえる保証がない」「貴重な美術品を雑に扱って損壊させるかもしれない」として拒否。もともと略奪し返そうとしないのはヨーロッパの側なのに不公平な話で、旧植民地に対する見下した態度がはっきりと出ている。1973年にはザイール(現コンゴ民主共和国)のモブツ・セセ・セコ大統領(独裁的)が国連演説で植民地時代に奪われた美術品の返還を要求し、それまでアフリカ各国の関係者や欧米に住んでいるアフリカ人インテリたちのあいだで議論されていた美術品返還が世界的に注目された。
それに対しヨーロッパの美術界は、この問題を公に議論することを拒むと同時に、直接の交渉において上記のような「アフリカには美術品を保存し管理する能力がない」という偏見だけでなく、そもそも美術館はすべての所蔵品を合法的に入手しているので返還する法的な義務も道義的な責任もない、それらの美術品の価値に気づいたのはヨーロッパのコレクターであり適切に保存したのだからむしろ感謝されるべきだ、アフリカの美術館に展示しても研究者や一般客から遠ざかるだけなのでヨーロッパの美術館に置いておいたほうがより多くの人のためになる、など、書いているだけでムカつく主張を繰り返した。また「返還」という言葉自体にも反対し、美術品の「譲渡」やほかの品との「交換」なら議論してもいいが、「返還」という言葉は本来アフリカに所有権があるべきだという前提があるので議論に応じられない、という態度を見せた。
この本が記録するのは、植民地時代に奪われた美術品の返還を求める運動が、冷戦の論理のなかでもてあそばれ、圧倒的に主導権を握るヨーロッパ各国の美術界によって無視されてきた歴史だ。ようやく近年になってユネスコを通した国際的枠組みができたり、先進国内で返還を支持する運動が広がるなどして返還がはじまっているけれど、欧米メディアではまるでこれが数年前にはじまった議論であるかのように報じられ、50年ものあいだ先進国がまともな協議すら拒否してきたことを忘れ去っている。日本も琉球やアイヌだけでなく植民地支配した朝鮮半島から奪った文化財に対する返還要求を受けており(そしてその返還を拒否する論理として、長らくヨーロッパと同じようなことを主張してきた)、責任ある対処が求められる。
しかしドイツ版の表紙は本の中で重要な位置づけのナイジェリアのブロンズマスクなのに、英語版はガーナのものなの、なんでだろう。アメリカ人向けには泣いているマスクのほうがいいと判断されたのかな。